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プリミティブな動機

教育が自己のために生きる目的と
矛盾しないかぎり
絶えず自らが自己とともに生きる行為を
利己的と見なすであろう。

自己に対して生きる目的と行為が失われるほど
プリミティブな動機は、つねに背後に曖昧に残されてしまう。
忘れ去られるように。

レトリック

内部被曝は
権力に対する科学者・技術者の追従だけではなく
いかに聴衆を納得させるかを目的とする
かなり政治的なレトリックなければ
長期的には成功し得ない。

モラルが予め破壊されているという前提条件は
教育によって隠蔽できる。

トリチウム梅雨入り

日本列島には、今年から第2の梅雨入りが始まって

まだいつ明けるか、誰にも分からない。

ーーーーーーーーーあまりに鬱陶しい日々に、ついに

ブログの工事を始めることにした。

10年分のテキストの引っ越しを管理者に依頼して本日完了。

 

標準化(Normalization)

<標準>とは、
免疫性を持たない社会的な自然状態(=normal)であり
つねに変動する平均である。
自然は失敗を分離,除去するように標準を形成するのではなく
人間が失敗を定義するための<標準>という概念を
利用しているにすぎない。
<自然の標準>は
例えばデフォルトとして自動的に定まった
プランク定数(Planck’s constant)として知られているが
シナジーはおそらく標準を持たない。
静止的な<標準>をつねに解体しながら
動的なシナジーを生成するシステムにふさわしい概念を
シナジー以上にまだ形成できていないからだ。
たとえば、
テンセグリティ構造は、自動的に定まった<標準>とは言えない。
シナジーによる統合作用は
標準化からは予測できないシステムのふるまいにちがいない。

知識人

何を学ぶかは終わった。
興味のあることを
どうやって経験するかである。
その方法を学ぶノウハウから学ぶと
知識を愛せなくなるから。
知識は自己との対話の集積である。

整備士

フォードのステーションワゴン
95年式の19年目の車検で
信頼できる整備士に会いに500キロの旅。
高速での燃費は10キロ。
排気量4000ccのエクスプローラの燃費は
日本車の4WDより優れている事実を知っている
整備士はほんとうにメカ好きだ。
そしてメカニズムの説明が明快だ。
彼はセスナ機のパイロットでもある。
陸海空の移動体の整備技術者は
テンセグリティの外力分散システムを
サスペンションの機能分化として理解する。
彼の対話のメカニズムは専門分化しない。

ドメイン(domain)

太陽は裸眼では見えない。
おそらくどんな野生の目でさえ。
あらゆるものが無条件で存在し
どんな秘密も存在していない
新たな領域(=ドメイン)を探し出すのは
裸眼ではなく
知識ではなく
瞑想である。

対称性

税金で開発された原子力発電システムが
安全で信頼できる「テクノロジー」だと完全に信じたから
国民は電気エネルギー代を毎月「金銭」で支払ってきた。
つまり国民は、
開発費とその運営費の両方の負担者として機能してきた。
ならば、この核爆発が引き起こした被曝問題は
まず「金銭」で解決されるべきだ。
そして、放射性物質はボランティアではなく
「テクノロジー」で処理すべきだ。
以上の通り、原子力電力ネットワークのすべてのユーザには
払い戻しを請求する権利がある。

非<計画停電>

真の電力テクノロジーには
計画停電など不要だ。
電力ネットワークという
有線テクノロジーは時代遅れだ。
人類は20世紀までに
生存のための
無線、無柱、無管、無軌道を
達成している。
これらは
1969年のアポロ計画で使用済みである。

無為自然ーーダイマクション・デザイン(続1)

<無から有を作る>人々は
ロンドンかウォール街に住んでいる。
生命はデジタル貨幣のように
どこからも湧いてこなかった。
<無から有を作る>哲学的飛躍は
科学的思考ではなかったからだ。
ーーーーーーーーdoing more with less
の物質的極限が
ーーーーーーーーdoing everything with nothing
ならば、
人為的な行為を排し
宇宙の原理に従って
自然のままである
<無為自然>こそが
テクノロジーの極限である。
「宇宙はテクノロジーである」
この言葉と共に、
R.B.フラーの「ダイマクション」は
今もひろく誤解されている。