汚染物質とは、
収穫に失敗した天然資源である。
耕作地に蓄積された最大の天然資源は、
農薬である。
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空間
空間はまだよく分かっていない。
クォーク以上の内部構造は発見されていない。
空間は所有できないが、
関係は発見できる。
非同時的な宇宙において
すべての関係はジオデシックである。
危機の生産
宇宙船地球号の技術情報と富そして研究開発の設備と生産・流通設備の
資産価値を独占するグランチは、
全人口の三分の二を占有する非資本主義の政治力という別の巨人と対立するために、
巨額の軍事費を半世紀間にわたって捻出させてついに相手を破綻させた後は、
食料費とエネルギー代を高騰させて、
人間の生活全体を支配できることを誇示しはじめた。
人間の生活を危機で支配する方法は、
危機的な状況でしか思考しない傾向をつくるのは好都合であったが、
現在の食料危機とエネルギー危機は、
食料とエネルギーの生産手段の不足から生じていないことを知っている。
危機を生産することへの批判はこれまでの歴史にはなかったことだ。
人々の無知を前提にした支配は時代遅れである。
圏外
グランチがいちばん気を使っているのは、資本主義の占有率である。
人類の三分の一は、社会主義が支配する圏外に住んでいるから。
つまり、少なくとも人類の残りの三分の二は
遺伝子やメタノールで金儲けをする連中が嫌いである。
遺伝子の構造デザインや発酵システムを模倣するための
著作権料を自然に払ったことがない。
彼らの最初の発明は、
法律の記号体系を宇宙の圏外に置いたことである。
玄米玄想
玄米だけを食べ始めるとだれでも3日以内に体に劇的な変化が起こる。
3日間断食すれば、さらに長年蓄積された化学物質が
宿便とともに大量に排出される。
この急激な変化によって、だれでも玄米が合わないからと感じてしまう。
けっして自分の体に原因があるとは思わない。
自分を内部からも外部から見ることは不可能だが、
食料自給率から私の体の半分以上はすでに外国産である。
思考法を変えたければ、読書や音楽、ファッションや部屋のレイアウト以上に
食を変えるのがもっとも効果的だ。
つまり、玄米を食べない習慣は生活を無意識によりフィジカルにしていたのである。
パンとミルクとチーズと肉があれば、
気分が安定する日本人はかつての富裕層に多かった。
食を通して日々の習慣が標準化されているにすぎない。
食は知の標準化のための規範となりやすい。
これはわれわれの弱点だ。
(給食とマクドナルドで簡単に子どもの思考を支配できる)
玄米は稀有な完全食である。(それ以外の食に依存しなくても健康を維持できる。)
しかも、短期間に幻想を解毒して、
自分を外部と内部から見る玄想で満たしてくれる。
玄とは万物の根源としての道(Critical Path)である。
目的論
芸術家は美学を語る。
美学は芸術家のために作られたからだ。
しかし、魚が漁師のために存在していないように、
原理は科学者のためには存在しない。
そして
人間はエコロジーを使い回しているが、
エコロジーは人間のためには存在しない。
美学よりも単純なこの目的論を
頭脳バンクはけっして受容しない。
地球外でも使用可能な為替(レート)だからだ。
専門分化
子どものピアニストはいても
子どもに科学者はいないことになっている。
表現の専門分化は認めていないが、
知識の専門分化は受け入れている。
しかし、表現力を伴わない科学的思考はないし、
論理的思考を伴わない表現力もない。
子どもの包括的思考力なくして、
ピアニストも科学者にもなれないだろう。
移動物質
食料は石油に依存している。
だから、1リットル160円のガソリンは高すぎる。
生命は水に依存している。
だから、ペットボトルの天然水はガソリンよりも高い。
移動できる家畜は、最初の貨幣だった。
この貨幣には柵が必要だった。
人々が柵のある土地の所有に明け暮れている間に、
移動できる有限な物質は、何でも高くできようになった。
地産地消
都市も農村もエネルギーの利用とそのデザインは、最悪である。
だからといって、バイオスフィアが地産地消で暮らした日は一日もない。
バイオスフィアの全エネルギー収入は太陽に依存している。
44億年間もある時払いの催促なしだ。
地産地消のエコロジーは、地球人のうぬぼれだ。
全エネルギー収支の表示偽装にすぎない。
ノズル
宇宙に存在するすべての化学物質は、
宇宙にとって不可欠な物質である。
宇宙は、拡散した物質を収集するよりも
ノズルで集中させるテクノロジーを採用している。
たとえば、金属鉱脈や石油天然ガスなどは局所的に集中している。
人類に利用可能なように有用な元素を濃縮させた場所をつくり出している。
資源の偏在性はテクノロジーである。
汚染とは選択的ノズルのない拡散だ。