個人を法律と規範の領土下で、監視しながら管理し、
学習が矯正システムである社会から逃亡することが
ほとんど困難な成熟したテクノロジーを批判しないで、
北朝鮮の独裁的同族社会と可視的な軍事力を非難することは、
すでに矯正システムによって機能する無意識の条件的反射思考なのである。
その反射思考によって
軍事力で維持される<資本主義の動く構造>を外から見ることは
より困難になっている。
軍事力は、すでに不可視の監視・管理・矯正技術である。
職場や学校、病院にすでに張り巡らされている。
個人を法律と規範の領土下で、監視しながら管理し、
学習が矯正システムである社会から逃亡することが
ほとんど困難な成熟したテクノロジーを批判しないで、
北朝鮮の独裁的同族社会と可視的な軍事力を非難することは、
すでに矯正システムによって機能する無意識の条件的反射思考なのである。
その反射思考によって
軍事力で維持される<資本主義の動く構造>を外から見ることは
より困難になっている。
軍事力は、すでに不可視の監視・管理・矯正技術である。
職場や学校、病院にすでに張り巡らされている。
流動する圧倒的な難民を受け入れない情況を先導する場合
その国家の民主主義はすでに消失しかけている。
自国の領土を買ったり売ったりしている間に、
その領域内にいるかぎり、
安全で平和に生きられることを保証するという国家は
もはや存在しないのだ。
エネルギーと水と、食料
そしてシェルターを過不足なく自給し、
自律していくだけで
人類は短期間にコロニーを形成できるのだ。
——-火星に行かなくとも。
権力がもっとも怖れているのは
人類の自発的な集団化(コロニー)なのである。
IoT(Internet of Things)は、
正常化の技術と
それに従う正常化された消費者群を前提としている。
正常化されたそれらの技術が、
正常化された消費者を想定するのは
正常化するための制度や権力に依存することを意味する。
正常化された消費者は
非常事態に対応できる生存のためのテクノロジーよりは
生存のための恐怖感と絶縁するテクノロジーにより接近するだろう。
モバイルシェルターの開発では
正常化された住宅やアウトドア用テント技術の
破壊による物理的、経済的、心理的解放を伴う
モバイル構造様式の確立から始まる。
階級権力の独裁体制のもとに生きているのは、
北朝鮮(=朝鮮民主主義人民共和国)だけではない。
地方自治体などの役員・幹部職に再就職する
文部科学省の組織的な行為は
ある階級が権力を独占することで実行可能となる。
明白な階級独裁を<天下り>という神が天界から地上に下る概念で
置き換える古い言語体系こそが
階級独裁を絶えず再生産しているのである。
武力解決の諸手段が合憲的なものである場合でさえ、
民主主義は暴力によって明らかに遠ざかりながら、
自衛されるべきだという幻想を生む装置なのである。
個人の特性を一つの支配方法に転化する方法は
個人性の水準を下降させる教育から始まる。
こどもの個人性を
個性の水準以下に留まるように記録する方法が存在する。
そこでは、個人性を形成する必要不可欠な要素は
分類されて記録されるだけである。
成功した大量生産品に個性が存在しないように
他と区別するような性質は除外される。
旅行者やモバイラーは、
つねに監視されている。
3.11の直後からでさえ、
遠隔地に避難するする人々の動向はすべて
携帯から長期間監視されていた。
政府とNHKの報道を信用しなかった人々を。
外国人や若者たちの自ら所有する携帯によって
警察の厳戒な動く監視ネットワークが
かつてないほど加速度的に更新されている。
つねに変動する社会の階級化にとって
動く監視技術が不可欠なのは
固定された初期の監獄と監視の歴史から説明できる。
しかし、被曝6年後に、政府ははじめて原子炉の内部の溶解を公開した時
その6年前から持続する非常事態を、強すぎる放射能で壊れかけた監視カメラと
その映像で想像させたにすぎない。
現在の監視カメラは、
バンアレン帯を超えた放射性の規模の環境下ではほとんど作動しないのだ。
人間を監視する技術は、まだ自然を監視できない。
教育の主目的は、こどもが興味に応じて
自らの環境を変えることを可能にすることである。
18歳までの教育費と医療費を各家庭経済に依存させることは、
その目的達成と本質的に矛盾するばかりか、
自らの環境を変えるの能力の喪失が招く
将来の産業的な損失に無関心になることを意味する。
家庭の経済的背景に依存しない学習環境に必要な
経済的支援を国家が保証するという認識の不在と共に
格差社会での子供の貧困という概念だけが定着した。
格差に対する不安こそが
格差を拡大する
支配エネルギーに変換できるからだ。
白眉に曝された(expose)陰謀論は、構造を除外している。
構造に関するかぎり、真理のみが支配する場から
これまでの構造は生み出されていない。
社会全体を統御し弾圧し抑圧する政治権力構造を含めて
攻城兵器と防衛城壁(defensive wall)的な特殊な構造を批判することが、
何よりもクリティカル・パスの切迫した課題である。
生存のための構造は、攻撃と防御に明け暮れた発明家による構造ばかりだ。
☆
攻城兵器
城門や城壁を破壊し、突破することを目的とした破城槌
構造物が基礎部と融合して一体化した構造デザインは
航空機や船舶、そして宇宙船の構造以外に未だ存在しない。
そもそも動く構造には、分離可能な基礎部が存在しない。
不動産としての建築構造は、免責の概念に基づいて設計されている。
地震による建物の崩壊による人間の圧死への免責とは、
地震における予測不能な波動エネルギーに対してではなく、
基礎を必要とする建築物の前提条件における
資本主義的な保険制度の<有限責任>の変形にほかならない。
貿易差額主義によって外洋航路を航行し、
アジア地域との貿易独占権を与えられた東インド会社に
雇用された船員たちが航海中に死亡した場合の保証範囲と
何も変わっていない。
「現在の下水システムに関するすべての基本的なデザインは、
紀元前2,500年頃にインドで発明される。
それ以来、本質的に改良したものはいない。」(RBF)
という概念が都市を支配し形成している。
現代の衛生の概念が、塩素に依存する社会構造を形成し、
都市と農村から微生物を排除しているのである。
日本の塩素の生産量は2兆円であり、
ソーダ工業(つまり、グランチ)の生存にとって
塩と電気(つまり、原子力エネルギー)は必須の原料なのである。
(ソーダ工業の塩の消費は、全消費量780万トンの内、全体の74%、
飲食の生活用として消費された量は全体のわずか2%)
しかし、現代の発酵微生物工学は、ブタなどの家畜の屎尿処理から
無菌の純粋な飲料水が生産できるので、
すでに上下水道を統合できるまでの実用性に達している。
(実際に試飲した私の経験に基づいている。)
塩素社会は、海を構成する基本物質を搾取しながら
微生物と人類の惑星地球上でのモバイル性を阻んでいるのである。
さらに、塩素で固定されたインフラによって人類は課金され続けている。
エコロジーとは、全生命にかかわる構造とパターンに関する動的な科学である。