量産するために
プロフェッショナな集団性でデザインした
プロトタイプが
一人の人間が自分のためだけに制作した
個人用プロトタイプよりも
より安全でより軽量でより剛性と強度があり、
より経済的であるとは限らない時代にいる。
個人的利益が目的ではない原型デザインの段階から。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
動く自律的受容器
気象変動から生まれる
豪雪や暴風雨などの外部の衝撃を絶えず分散する
モバイル・テンセグリティシェルターは
不安と悲しみ、
改善の余地のない現実に囲まれて生きる苦難を
互いに分かつ友情と愛のように振る舞う、
自律的に動く受容器として物質化した
最初の共振的構造なのだ。
全体のない部分
ある専門知識を他の専門知識よりも
より理解することはあり得ない。。
自然を識るとは量的な比較ではないばかりか、
自然は超専門分化された知識の総体ではないからだ。
全体のない部分を、
識るか識らないかだけである。
シナジェティクスは全体という未知から開始する。
裏庭
人生は「暇かね?、それとも暇?、金?」
バックミンスターフラーは、「Sense or Money?」
シナジェティクスを学ぶ学生たちに
最初に質問していた。
暇は、感覚を拡張し概念を破壊する最初の豊かな入口だ。
早朝の裏庭には手作りの小さなバックドアがあるる。
生活器
シナジェティクスが宇宙に内在された先験性との関係から
生活器としてのテンセグリティ構造を模索する時、
形態に対するデザイナーの独創性という
ほとんど資本主義の目的化された副産物から
不可視の張力機能の物質化は不可能だ。
それは、誰も未だデザインに成功していない
超軽量モバイル生活器の歴史が証明している。
KAJIKAWA Band=表裏がないシナジェティクス・モデル
一つの円は、360°である。
二つの円は、720°で統合されないように互いに干渉する。
ロープを使用して、連続した2つの円を描くことができる。
一つのノット(瘤)の内角は、360°である。
連続的に二つのノットを形成すれば720°のノットが可能になる。
私は、2つのノットの始点と終点を結合して
物理的に統合すること(linking)に挑戦したのである。
正4面体の内角の総和は、720°である。
1989年、ついに正4面体の各稜線を中央線で切り離すと、
連続した捻れた(twisting)一つのループに還元されることが発見された。
また、二つのループを連続させて規則的に捻れた一つのループから、
一つに統合された正4面体に変換できることも実証された。
KAJIKAWA Bandは、
ノットが他のノットまたはノット自体を消滅させるための新たな空間構造である。
KAJIKAWA Bandは、正4面体状ノットに変換されたトポロジーモデルである。
KAJIKAWA Bandは、外部と内部を形成する最初の720°のノットである。
正4面体状のKAJIKAWA Bandは、表裏のある捩れたループ(twisting loop)に内在された
表裏のない初源的な最小限の捩れ構造(primary twisting structure)である。
☆シナジェティクス教材 KAJIKAWA Band 販売開始
https://www.tensegrity.jp
表裏がない捩れ構造におけるシナジェティクス・モデルの生成
続)独創性の評価基準
私は、1990年代にある日本の出版社から
幾何学・準結晶学論文の審査をする仕事に関わっていた。
シナジェティクスに関連した学的領域の独創性に関して私の意見が求められた。
教授たちの論文はつねに外国論文の複数の視点の合成に始終する
巧妙な解説以外に独創性はなかったが、
他の審査員の評価基準を共有する
ネットワークによって論文は出版されていた。
独創性の評価基準
独創性の自己評価と他者との評価にはタイムラグがある。
真の独創性に伴うタイムラグは、
他者の理解に時間がかかるよりも
それまでの評価基準を陳腐化する混乱から生まれる。
ゆえに社会的評価に依存するほど独創性を作り出す能力、
あるいは自然の先験性を発見する能力は退化する。
全方位720度の正4面体世界地図
シナジェティクス研究所からオリジナル教材を販売
全方位720度の正4面体世界地図
バックミンスター・フラーのダイマクションマップの不連続な海を連続化し、
矩形化した世界初の流体地理学的な投影法に基づく正4面体世界地図。
シナジェティクス研究所オリジナル教材
https://www.tensegrity.jp/
概念の解説 「全方位720度矩形画像モニタリングシステム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/全方位720度矩形画像モニタリングシステム#/media/File:世界地図テトラマ®アニメーション.gif
正しい問題
正しさは自分で決められるわけでも
他者が決めるものでもない。
「正義=Justice」と違って、
正しさを「自然」が受容するかどうかだ。
それをどうして私に理解できるかが
他者が決められない私の「正しい問題」となる。
私が広大に続く球状に閉じた
リアルな裏庭から滅多に出て行かないかぎり。