自己のテクノロジーには、外部から自己を観察する方法が含まれるが
誰も自己の外部を対象化することができない。
自己のテクノロジーは統合力を高める。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
シナジェティクスの技法 再考
微積分学は、可視化するシナジェティクスから遊離する
科学者たちのはったりゲームには不可欠だった。
計算技法の独占に対する興味が尽きなかっただけである。
アルキメデスは、球の体積と表面積を微積分学ではない方法で発見している。
分離力よりも統合力は、つねに直観に誘導される。
そして、直観は統合力の方が優れているための技法さえも破壊する。
シナジェティクスは技法をデフォルトに回帰させる。
経験
経験するためには、観察する側と観察される側を共有しなければならない。
シナジェティクス
知識は他者の産物、想像力は自己の経験の産物。理解は記憶から生まれない。
理解
知ることを本当に楽しむことができるのは、
包括的な真理には妥協がないことを理解しえたときだ。
無(Nothing)という未知(Unknown)
社会科学において、情報は「発信者または受信者にとって何らかの意味を持つもの」として扱われる。
「記号−意味」化された情報が世界のコミュニケーションを形成している。
コミュニケーション世界において、
「記号−意味」化された情報をもたない領域は「無意味=ナンセンス」と呼ばれる。
自然科学において、情報は意味を考慮に入れない符号として扱われる。
例えば、存在しない物は数えられないという概念を打ち破ったのが、ゼロの発見である。
「宇宙(Universe)」には、この既知なる概念のすべてが含まれる。
一方、東洋のメタフィジクスにおいては、
意味を考慮に入れない符号さえも存在しない領域は「無(Nothing)」として扱われてきた。
「未知(Unknown)」とはこの「無」を含むすべてである
(一方、コミュニケーション世界における「未知」とは、「記号−意味」化された情報の不在だけを扱っているのである)。
シナジェティクスによる「自然(Nature)」の定義では、
この「未知」と「宇宙」を含む。
この「自然」という概念の劇的な変容は、
ことごとく科学的原理の発見=既知なる符号間の新たな相互関係によってもたらされたものである。
空腹から空頭へ
本当に空腹になってから何かを食べれば何でも美味しく感じやすくなる。
同時に、本当にまずいものにもより敏感になれるだけではなく、食べない自由を自覚することができる。
頭と知識の関係もほとんど同じである。
われわれはつねに美味しい知識を食べ過ぎているから空頭にすればまずい知識に敏感になれるだけではなく
うまいまずいを超えた知識との相互関係が見えてくる。
そして、食べない自由のすばらしさを自覚できるはずだ。
そして、空腹と空頭とを同時的に連動させて学習するとそれまで未知だった物事の相互関係が
もっとも効果的に発見できるにちがいない。
650万年間、人類の圧倒的な時間は、意図に反して空腹と空頭に費やされてきた。
食欲も知識欲も満腹にさせるほど直観は機能しない。
非常事態の種族保存には直観の不在化がもっとも危険な行為だったからだろう。
生産性
産業に絶えざるイノベーションがあっても
自然界の原理や秩序に革命は生じない。
もっとも経済的な作用と生産性は、叡智によってはじめて理解できる秩序、
つまり、超越的な存在(デフォルト)からやってくる。
公理からではなく
シナジェティクスは、幾何学ではない。
幾何学にしては、物理学的すぎ、物理学にしては哲学的すぎる。
哲学にしては詩的すぎる、そして詩的にしてはメタファーが科学的すぎる。
シナジェティクスがつねに公理ではなく経験に基づいて思考してきたからだ。
シナジェティクスほど包括的な宇宙的ドメインを分断する学派は不要だ。
SYNERGETICS
Fig. 542.02 Tetrahedral Analysis of Plato’s Triad:
一粒万倍
金利が高くなればなるほど人々は貯蓄することで貨幣をより多く手放す。
さらに、債権などの金融資産を保有することで
利子を得ようとする貨幣的利子率によって、
貨幣の最初の抽象的な互換性から遊離していく。
しかし、光合成による稲作ほど利子率が高いものはない。
子牛が生まれて群れが増殖する利子率の概念を遙かに超える稲作の利子率は
一粒万倍と言われてきた。
一粒万倍は、シナジーの余剰生産性である。
エントロピー法則への見事な反対称的な反例である。