テンセグリティが張力を生成するのではなく、
圧縮力が張力を生成すると張力が圧縮力を生成する時、
その非同時的な相互関係がテンセグリティを維持する。
テンセグリティは多面体から発見されなかった。
面は存在していなかったから。
テンセグリティを生成させるための対称的形態は、2次的な美的基準からである。
テンセグリティが張力を生成するのではなく、
圧縮力が張力を生成すると張力が圧縮力を生成する時、
その非同時的な相互関係がテンセグリティを維持する。
テンセグリティは多面体から発見されなかった。
面は存在していなかったから。
テンセグリティを生成させるための対称的形態は、2次的な美的基準からである。
バックミンスター・フラーが講義で使用していた
球状のテンセグリティモデルは、飛行機での移動には不適切であった。
講義の前に僅かな時間で組み立てられる方法よりも
折りたためる構造をすでに発明していた。
この方法は、まだどの文献にもBFIのアーカイブにも存在していない。
見えないモデル言語は、まだ未整理のままなのだ。
シナジェティクスの有用性は、現在の数学には属さない。
テンセグリティ構造の自由度と安全性に深刻な影響を与える建築法規(コード)のために
生活空間としてのテンセグリティ構造の可能性を一掃しなければならないということではなく、
構造の自由度、それに伴う強度と剛性は、ある領域において制限されるべきだなどとは
建築コードという記号テクノロジーからは本来何も本来何も言えないのだ。
まして、建築コードの組合せを駆使するハイエンドユーザである建築家から
テンセグリティの可能性を否定することはできない。
科学テクノロジーは、しばしば、記号テクノロジーを陳腐化してきたからだ。
航空機が実用化されるまでの間に翼やプロペラの挙動に関する
空気力学や機械工学的なノウハウが獲得された後に、航空機の免許制度ができたのではなく
航空力学が最初に誕生したのだ。
技術的に精通したユーザー(tech-savvy users)は、教育の効果から生まれる。
より加速度的に増加する局所情報を劇的に無化するシナジーは、デザインできない。
局所的に激しく強く受ける外力エネルギーを
非同時的に全体に分散する機能に変換するばかりか、
システムを通過する外力エネルギーをよりシステムを強化するために振動し、
それゆえにより軽量化を果たしながら
動的な均衡を維持するテンセグリティモデルさえも。
同時的すぎる思考の防御方法は、固体的でより脆弱になり、
そして統合されたテンセグリティを不安定でより危険な構造とみなすほど
自然に対して傲慢なのである。
建築における構造設計では、これまでコンピュータによる計算結果よりも
数倍の安全率を使用してきた。航空機の場合は、せいぜい2倍を超えないのは
その安全率の起源と必要性を熟知しているからである。
技術的な無知の増大によって、構造の自重の増加に伴った安全率も自ずと増大する。
より大きな安全率は、より大きいリダンダンシーと荷重分散に対する自由度を失う。
航空機では機体重量の増加は、死の危険性ばかりか、飛行の経済性をも失うだろう。
耐震や免震、そして制振技術以上に、構造の軽量化と剛性化をも統合したテンセグリティは、
究極の構造システムである。
しかし、構造に関わる専門家たちが、テンセグリティが非実用的であるばかりか
もっとも危険な構造だと信じ込まされているのは、構造の自重増加が
材料費と施工費の増大による利益率の増加をもたらしてきた経験からである。
住宅は、航空機や自動車の安全性能や燃費性能、耐久性への革命に比較すれば、
暗黒時代の産物である。
バックミンスター・フラーによるオクテットトラスのテンセグリティ構造体 1980
宮島の弥山の手前の懐かしい巨石の上で
またおにぎり食べて、
瀬戸内海を見下ろす場所の夢を見た。
あの数百メートルも垂直に聳える巨石から吹き上げる海風になびかせて
そして、無数のテンセグリティを手放すとどうなるのだろうか。
タンポポのように空中を浮遊し、海に着水していくテンセグリティ群は、
再び浮遊するはずだ。
海面を放射する夜光虫のように。
水が酸素と水素から<化合>できるが、
水素と酸素とを体積で2対1の割合に混ぜただけでは水はできない。
これらの気体を同時に着火して爆発させると水素も酸素も消失して、はじめて水ができる。
水素と酸素が相互にはたらきあって、結合して水になる。
テンセグリティは、紐と棒から<合成>できるわけではない。
テンセグリティは、その<合成>過程で分子間引力という張力の概念と
圧縮力を不連続にする分断の概念とその物理的操作を必要とする。
圧縮材と張力材が相互に働き合うように意図的に操作しなければ
テンセグリティモデルは形成できないのは明らかである。
紐と棒から単純に<合成>されるだけなら
プラトンやアルキメデスのギリシア時代に、
あるいは遅くとも、ヨハネス・ケプラーの時代に発見されていただろう。
球に内接するプラトン・アルキメデスの多面体の頂点の配置を
テンセグリティを構成する多面体の頂点の配置と一致させることは可能だったはずだから。
あるいは、ケプラーの多面体で球に内接する
正多面体の内部の対角線(=テンセグリティの圧縮材の配置パターン)は
十分に駆使されたはずだから。
20世紀になってはじめてテンセグリティが発見されたのは、
<化合>でもなく<合成>でもなく、
自然を模倣することなく構成物質と概念(=引力)を
意図的に<統合>した操作主義の結果なのである。
しかし、テンセグリティに動的な均衡を生成する外部からの振動が絶えず与えられ
自らの構造をより強化して自律するデザインは、発見者の意図と操作を超えていたのである。
テンセグリティは、基本的な<構造の概念>を操作主義的に定義した革命的なモデルである。
自然による統合方法の発見とその体系化は、
バックミンスター・フラーの<シナジェティクス>である。
権力構造によって、余剰生産に従事し、
余剰を追跡することでしか
もはやリアリティを生産することができないのだろうか。
先験的な構造とパターンを受容するためのリアリティは
テンセグリティ・シェルターの天窓から降り注ぐ星々からやってくる。
圧縮力のみからなる権力構造の余剰生産方法から
そのシェルターは生まれなかった。
シナジェティクスの本質的な試練とは
物理的無限性とそれに到達する理論とを証明する実験モデリングに至る
批判であると同時に存在論であるシナジェティクス起源的思考にある。
例えば、テンセグリティ球の直径の物理的な無限性を
支える張力の連続性から
浮かぶテンセグリティに至る起源的思考。
起源的思考は、オブジェに幽閉する美学や学習から生まれなかった。
テンセグリティシェルターによって
生存のための自由空間をどのように享受できるかは、
エネルギーと食料の規制制度が持っている恣意性を明らかにしながら
矯正と服従から短期間にどのように離脱できるかでもある。
バイオスフィアへの離脱は、
火星に行くよりも安全で、気楽な漂流に違いない。