テンセグリティだから軽くて強いわけではない。
むしろ、軽く強くしたいからテンセグリティになったのだ。
美しいテンセグリティは、最後にやってきたのであるが
美しい形態だけを複製しても生存には無関係である。
軌道エレベータ(Space elevator;重力エレベーター)は、
それを生産するために必要な強度を持つ素材が発見される前から
概念的に考案されている。
エレベーターのケーブルは地球に接近するほど
重力が増加して遠心力が弱まると同時に
より大気圏外に行くほど重力が減少し遠心力が強まる。
緯度が上がるほどケーブルにかかる張力が大きくなるが、
連続したケーブルのどの点でも張力が非同時的にかかるので
結果的に全体の遠心力が重力を上回るようにデザインできる。
したがって、基本的にはカーボンナノチューブによって統合された
最軽量のテンセグリティ構造であるが
まだ重力エレベーター用のナノチーブはまだ生産できていない。
電導性のないナノチューブが大気圏内外の紫外線に弱いだけではない。
連続したより長いナノチューブが完成していないのは
技術の問題ではなく、再び構造とパターンのメタフィジックスの問題である。
物質はつねに遅れてやってくる。
「テンセグリティ」カテゴリーアーカイブ
引力(gravitation)
重力と戦うことにエネルギーを使って
ついに構造を疑ったとしたら
その瞬間に張力を失うだろう。
張力は、重力の別名の
引力(gravitation)に等しい。
すべての圧縮材は互いに
引き寄せる作用(gravitation)を及ぼしあっている。
圧縮力的社会
われわれの社会システムでは、政治や経済は
ある種の大黒柱のような圧縮材として扱われている。
人々はそれを失う怖れから大黒柱を尊敬している。
表面材が構造を形成していないばかりか
圧縮材の一部を失うのは小さく
張力材の一部を失うのはさらに小さい
テンセグリティ構造が理解されるのは
すべての大黒柱への幻想が崩壊してからだろう。
分散 vs 分断
どんな外力も分散し
そのエネルギーがシステムを通過するごとに
そのシステムを強化する機能から
共鳴作用へと変換するメカニズム以上に
より自由な構造は存在しない。
大地へ自重を流すための基礎を形成しないまま
構造を支えるこの分散システムは
外力を分断して征服する専門分化からは生まれなかった。
構造とパターン
テンセグリティを理解する前から
そしてそのモデルを作成した後も
立体的に構成された幾何学モデルだと思われているのだろう。
あらゆる構造とパターンの中で
テンセグリティに関する知識が一番遅れている。
すべての強制を憎むとテンセグリティになるのだ。
その構造とパターンは自然に内在している。
固体的
固体的物質観から生まれる
圧縮材の集積だけで成り立ってい構造の最大の欠陥は
すべての振動や共振を恐れている社会システムと
連動していることである。
固体は振動の自由度がもっとも少ないからではなく
宇宙には固体的物質は何一つ存在しないからだ。
固体物理学の基本概念はすでに否定されてきたが
イデオロギーのなかではまだ生き残っている。
政治とは、21世紀も強固な揺るがぬ砦なのである。
環境
思考したことを言葉で表現すること
そして、
それらを行動することが
互いに調和している状態こそは
つねに<環境>として
無数の個人がデザインしなければならない。
<環境とは自分を除いたすべて>だから。
内部
テンセグリティシェルターは
スモールハウスではない。
恐怖や抑圧から逃亡して瞑想する一時的な場所ではない。
週末だけ都市から孤立する隠家ではない。
一個の全体に変換する天真爛漫なテクノロジーである。
重さのない所有できない宇宙の機能を再現するために
移動する広大な内部なのである。
自由度
張力こそは、短すぎて不要になった骨格材を
第一級の構造に導いてくれる唯一の道である。
構造に振動という完全な自由度が与えられた
テンセグリティは
非正規雇用された圧縮材だけで構成される。
テンセグリティは
建築家(architect)という構造の支配者には
つねにアナーキー(an-archy)である。
畑
どの美術館にも、どのスタジオにも
美しいテンセグリティが展示される日は来ないだろう。
植物の種子のように風に運ばれて
光とともに大地にインストールされ
夜空を見ながら、畑と共に平和に暮らす
シェルターの時代が終わるまで。