圧縮の反対は膨張ではなく
引張りである。
圧縮強さは破壊荷重を断面積で割った値である。
引張強さは細長い材料の断面積で割った値だけでは決まらない。
蜘蛛の糸のように
螺旋構造とβ構造のハイブリッド構造における張力は
物質の表面に移動するからだ。
蜘蛛の糸の驚異的な強度は、断面積だけではなく
その表面積にある。
さらに、蜘蛛の糸の強度や弾性力は糸の含水率に関連し
水分を含んでいれば粘弾性は3倍に変わる。
1990年には、クモ糸を作りだす遺伝子を組み込んだバクテリアに
糸を生成させる軍事的なバイオテクノロジーによって
鉄の5~10倍の張力を獲得している。
現在、すでに伸度と弾性率においても
天然糸を超えた特性をもった人工繊維の合成に成功している。
「テンセグリティ」カテゴリーアーカイブ
自己放棄
本質的なテンセグリティを再現するには
あるがままのテンセグリティを見る以外にはない。
テンセグリティは
<より重要な部分>を完全に放棄する方法に到達している。
完全な自己放棄によって
テンセグリティの存在方法と共鳴することができる。
続)反対称性モデル
概念上の反対称性はモデル言語に属する。
この言語なくしてテンセグリティの統合性は
言語化できないばかりか
物質的にも統合できない。
テンセグリティにおける
相補性における反対称性の発見は
M.C.エッシャーの反対称性の発見よりも先行している。
構造とパターンに潜む反対称性にも
シナジーは介在しているが
美的な探究からシナジーは発見されなかった。
反対称性モデル
圧縮材と張力材との関係が超軽量構造を作っている以上
テンセグリティモデルと言えども
根本的に圧縮材の重量を軽減するだけではなく、
圧縮材の有効な細長比と張力材の引張強度を向上させなければ
外力分散機能の形成もありえない。
テンセグリティを美的で視覚的な対称性から再現するだけでは
シナジー作用にけっして到達しえないのは
テンセグリティの圧縮材と張力材は互いに
非鏡像的な相補性における反対称性を形成しているからだ。
続)自然のリダンダンシー
ケネス・スネルソンが球状テンセグリティを作品に利用できなかったのは
バックミンスター・フラーの先行するシナジェティクスと
テンセグリティ原理の発見に干渉するだけではなく
人間の生活空間への利用の可能性を否定することで
新しい芸術様式を成立させたかったからにちがいない。
(同時に、スネルソンはバックミンスター・フラーが最初に概念形成した
tensegrityという造語の最初のユーザであったことに
注目しなければならない。)
科学的解釈が達しない芸術の拠り所をテンセグリティに求めた瞬間に
彼はテンセグリティの科学的な構造原理を
自ら排除しなければならないジレンマに陥ったのである。
それゆえに、彼が思い描いた新しい芸術様式が
20世紀の後半に隕石の内部から発見された
フラーレーンにも複製されていた事実は決定的であった。
テンセグリティ構造においては、人間は発明することも
表現作品のオリジナリティを作り出すことも不可能であった。
付加的でない自然のリダンダンシーを否定する人々は
宇宙の現実をあるがままに受け入れる科学的な試練に対して
絶えず原理の発見へと導いているこのメタフィジックスを知らない。
自然のリダンダンシー
人間は自らの体重を骨格だけで支えてきたのではない。
60兆個の細胞はもっとも安全なテンセグリティ構造を採用してきた。
人間が生活空間として使用する構造としては
テンセグリティは危険すぎると考えて
彫刻作品のみに利用してきたケネス・スネルソンは
テンセグリティ構造の自律的な外力分散システムや
付加的でない自然のリダンダンシーに対して
まったく無関心である。
あるいは無関心を装っている。
空間構造の安全のための新たな代替手段を確保する可能性が
まったくないという前提から
彼は芸術作品としてのテンセグリティの存在意義を
形成してきたように思える。
美的価値はしばしば科学的な発見によって瞬時に破壊される。
<観る>ための言語
林檎の生産数は
それを食べる人よりも多いように
テンセグリティモデルの制作数も
テンセグリティのあるがままを<観る>人よりも多い。
テンセグリティモデルは
たとえ圧縮材をカーボンパイプで制作しようとも
林檎のように自然に属する。
あるがままを<観る>行為こそモデル言語が介在する。
テンセグリティには固有のモデル言語が存在する。
肯定的構造
構造に対するもっとも根底的な否定を通じて
生命にとってもっとも肯定的で自律的な構造が現れる。
それがテンセグリティである。
バックミンスター・フラーが
テンセグリティを発見した1927年
彼は建築家ではなかった。
権力構造に対するもっとも根底的な否定によって。
美的な誤謬
テンセグリティの構造とパターンの発見は
重力を利用したすべての構造の解体の結果であり
構造とパターンに美を求めた結果ではない。
生命が自分の細胞を所有することではないように
テンセグリティ原理を理解するには
美を所有しないことからはじまる。
テンセグリティを理解することは
美しいテンセグリティを複製するよりもはるかに困難である。
テンセグリティモデル
林檎の生産数は
それを食べる人よりも多いように
テンセグリティモデルの制作数は
テンセグリティのあるがままを観察する人よりも多い。
テンセグリティモデルは
たとえ圧縮材をカーボンパイプで制作しようとも
林檎のように自然に属する。