原稿の校正は孤独にならないと
そして他人にならないとできない。
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「テンセグリティ」カテゴリーアーカイブ
相補的な機能
圧縮と張力、
この分離と統合はテンセグリティの本質だ。
これはテンセグリティに関するもっとも単純な
メタフィジックスである。
言い換えれば、圧縮材には圧縮力を
張力材には張力のみが作用するとき、
その構造は張力によって完全に統合されていることになる。
さらに、この非鏡像的で相補的な機能が
互いに純粋に分離されないかぎり、
構造はけっして doing with moreを達成できないことになる。
これまで、この分離と統合の概念は
「分割と統治」として間違って置き換えられてきた。
あるいは、
「分析と総合」「微分と積分」と言った認識方法からは
テンセグリティはついに発見されなかった歴史を説明できる。
浪費
構造物は物質の浪費によっていっそう単位あたりの強度は低下する。
テンセグリティは一種の合金である。
真の構造では単位あたりの強度は飛躍的に増加する。
浪費は大地に不動を前提にした建造物によって
社会化されてきた。
2種の「分離と統合」
テンセグリティでは圧縮材には圧縮力、
張力材には張力しか機能しない。
一方、大黒柱」はその両方をつねに受けているのである。
テンセグリティの圧縮材はより軽量化された「大黒柱」ではない。
増加する自重を大地に流す以外の方法で、
もっとも重要な唯一の「大黒柱」は構造を統合することはできない。
テンセグリティは「力を視覚化」する形態ではなく、
圧縮力と張力の作用の純粋な分離によって
その新たな相互作用における反対称的な張力的統合の優位を
最初に視覚化した原理モデルである。
こうして
自然を再現できないすべての「大黒柱」は
テンセグリティの発見とともに失業しているのである。
しかし、政治経済における分離と統合では、
けっして唯一無二の「大黒柱」を否定しないのが、
すべての「権力構造」の特徴である。
生活器
自動車は、人間が陸の軌道を移動するための道具である。
飛行機は、人間が軌道のない空を飛行するための道具である。
テンセグリティシェルターは、
人間が軌道のない陸を移動するための道具である。
この太陽系で存続可能な最初の生活器は、
無柱、無管、無線、無軌道のテクノロジーを備えている。
反対称的存在
この幾何学的オブジェを対称性の概念で、
それゆえに美的に扱いすぎていないだろうか。
圧縮力と張力からなる動的な相互作用を
<非鏡像的な相補性>で思考する反対称的な概念
(=不連続な圧縮材を連続した張力材で統合するシステム理論)は
半世紀前まで存在しなかった。
真の構造を認識した瞬間に、
他人によって誘導されるか、
強要された多くの表面的な振る舞いに埋没した
記号的すぎる現実を暴き出すシステムは
テンセグリティ・モデル以外には存在しないだろう。
慣習的に容認された権力のテクノロジーの企みから
完全に絶縁している反対称的存在は
宇宙のテクノロジーに属する。
テンセグリティとは何か
個人でもできる条件で、
直観力のみに基づいて構造をデザインした結果だった。
(直感ではない)
テンセグリティほど
専門家を排除する構造はない。
なぜならどこでも持ち運びできるからだ。
単純な方法
自然にはつねに三角形化できるもっとも単純な方法を現実化した結果、
テンセグリティを形成する。
しかし、正確で美的なテンセグリティモデルを再現する方法には、
これまで芸術的な技法が必要であった。
それはテンセグリティを自然よりは複雑に理解しているからだ。
スネルソンのテンセグリティ
構造化されたテンセグリティは互いに似ているが、
非構造的なテンセグリティは互いに異なっている。
芸術家は作品化のために後者を選ぶ。
細胞膜は構造ではない
われわれの細胞がテンセグリティ構造を
採用しているにもかかわらず、
テンセグリティの内部に住むことは
もっとも困難なテクノロジーの一つだ。
細胞膜自体が流動性をもっているのはなぜか。
細胞膜(細胞壁)が細胞内外を隔てている静的な構造体を形成している
という概念から絶縁して、
細胞がテンセグリティ構造を導入した理由を真に理解できるのは
個人がこのテクノロジーを実用化したときだ。
原型質膜(細胞膜)は構造ではない。