ネット社会に過疎はないことと、過疎を恐れないこととは違う。
サーバーはナローバンドの過疎地の外に置くべきだが、
過疎地にパソコンが一台もなければ、
googleによる検索に必要な世界の30万台のサーバーとは
まったく関係しない。 Y.K
ネット社会に過疎はないことと、過疎を恐れないこととは違う。
サーバーはナローバンドの過疎地の外に置くべきだが、
過疎地にパソコンが一台もなければ、
googleによる検索に必要な世界の30万台のサーバーとは
まったく関係しない。 Y.K
どうにもならないことを、忘れるほど強くないから
他人も無知で不幸でなければならない。
退屈な忍耐をモラルにすり替えたスローライフを歓迎しているのは、
都市と農村の団塊世代である。 Y.K
酔って友愛、醒めて企画。
彼らが運命を共にした記念碑なオンラインシステム管理には教育のマネジメント不足が死ぬまでつきまとう。
自分たちだけが必要とされるようにデザインしたから、skypeとipod と100ドルPCが世界の貧困地帯でどう統合されるかはニッポン老後文明には関係しない。 Y.K
すべての外部入力を意図的に一時的に止めて、それでもいきいきと感じることが出来るのが「私」とは限らない。
「私」たちは、同じ化合物である水や塩、そして同じ遺伝子の植物を食べている。
さらに、同じ検索エンジンで同じ情報を探索する。
だから限りなく他人に似てしまっている。
すでにほぼクローンなのである。
(クローンは経験の違いからタイプが派生するようにデザインされている。たとえば、変わった食べモノや変わった情報を入力していると変わった人になる確率が高くなる。)
人々がこの世界に「私」と同じ人間はいないと考えるのは高度な消費社会には不可欠なエンジンである。 Y.K
ノーバート・ウィーナによれば、情報とは
「われわれが外界に適応しようと行動し、また調節行動の結果を外界から感知する際に、我々が外界と交換するものの内容」である。
情報編集という人為的なシナリオを超越したとき原理の発見に遭遇するチャンスがくる。
原理は情報を劇的に減少させ物事を高度に要約する統合的な存在と見なされる。
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エネルギーは増えも減りもしない。
人間には本質的にエネルギーを作り出せないし消費もできないという物理学の発見がいまだに理解されていないうえ、情報は本質的に増えも減りもしないことも理解されていない。
情報には重さがない。
自然科学において情報とは、「物質・エネルギーの時間的・空間的・定性的・定量的パターン」のことであり、情報は物質・エネルギーと並んで自然を構成する相補的要素である。
99.9%の人間はこの相補的要素の推進と消費にひたすら挑戦しているようだ。
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情報は決して船のように一方向には推進されない。
情報推進は、21世紀の行政機関の幻想の一つである。
情報はエネルギーのように拡散するのだ。
だから、物質のように編集されなければならない。
自由な生産性から余剰をスピンアウトさせる情報自体も編集である。
情報は風を間切るヨットのように源流に向かって遡上できる。
さもなければ、誘導され操作されるだけである。
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リモート・テクノロジーによって
自分が地球のどこにいるかを気にしなくなるばかりか、
本質的に人里離れることはなくなる。
しかし、リモート・テクノロジーは
中東の資源戦争でもっぱら武器として使用されている。
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人里はやがて火星まで及ぶ。
そのとき、火星を過疎地域とは言わなくなるだろう。
テレコミュニケーション(telecommuniction)とは
遠距離通信技術という意味である。
teleとは[遠くから]というギリシャ語である。
失業者が増加して破綻した社会主義を攻撃する自由主義経済が
イデオロギー的に優位ならば、
過疎化とは破綻した電子的社会を意味する。
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直観と神秘を科学から除外したのは、歴史的にソヴィエト共産党である。
現在のグローバリズムがそのノウハウを受け継いだ。
直観と神秘によって、権力構造の企てが瞬時にハッキングされてしまうからである。
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