茨城県東海の加速器実験施設「J−PARC」は
5月23日正午ごろに同施設内で発生した放射性物質を
排気ファンによって
管理区域に排出させた人為的行為を
「実験装置はコンピューターで制御しているため、
人為的なミスではない」とした。
私の知る限り
<すべての科学実験は人為的である。>
室内放射線量も公表されていないのは
数千億ベクレルを超えた異常な事故だったからだろう。
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忌々しい時代
1929年以後、再来する経済的な緊急事態を想定して
何を食べて生存するかが問題だった。
そして、人間はセシウムを食べることにした。
人間は問題自体を食べる習慣を発明したのだ。
忌々しい時代は終わらないまま
忘れられている。
遺伝子レベルにはなかった構造とパターンだから。
動的な非平衡状態
何を食べるかで
農地は変わらない。
どこに集めても
半減期は変わらない。
誰を選ぶかで
負債は変わらない。
何を与えるかで
だれも救えない。
何を考えるかで
誰も愛せない。
人間はDNAを変えられるが
生物学の範疇にはなかった。
人間は人間を深く拒絶できる
最初の生物になろうとしている。
より奪うことで
より小さい人間を生むように
奪うこと以外の報酬は与えられない
システムを創造したのだ。
もはや、体系化された無知が
生命の再生に関わっている。
続)デフォルト都市
僕は、他人から借りた知識に依存するすればするほど
生存できない場所に生まれた
子どもの一人だった。
学校から教科書が消えた数年間、
子どもが子どもを教えていた。
つまり、最初の破壊実験が
まだ十分ではなかったからだろう。
デフォルト都市
空中で爆発した最初の原爆が
都市のすべてを吹き飛ばした後の
見晴らしのいい廃墟のままの5年後に生まれた。
その都市では
バラックのシェルターが最初に川沿いに蘇生した。
7つの川が大量の流木を上流から運んでくれたからだ。
もし、その川がなければ
無数の黒い死者のうずくまる
悪臭が漂うひたすら焦げた廃墟だったはずだ。
最小限のバラックの構造材と
そして、生きるための魚と飲料水と燃料は
その川から調達された。
もし、当時の父親がテンセグリティを知っていたなら
最小限のバラックの構造材から生存生活を始めただろう。
そして、ずっとそれに住んでいただろう。
僕が生まれるまで30回以上も引っ越しをしていたのだから。
バラック考
バラックは日本語ではなかったが
第2次世界大戦後
この言葉を日常的に使って暮らさなければならなかった。
バラック(Barracks)とは
<一時的なシェルター>を意味する兵隊のための細長い宿舎である。
細長い横木=Barがその語源である。
テンセグリティは
垂直な圧縮材も水平な圧縮材も存在しない
最初の放射状のバラックである。
バックミンスター・フラーが
正20面体の対称性のあるテンセグリティを発見したのは
1951年である。
放射について
学習の99%は
才能や能力によって与えられる光がなくとも
他人から借りた知識という光に依存する行為である。
自らの内部にはどんな光源もないことを前提にした自己教育は
その学習方法を競争させる以外の目的を排除するだろう。
その記憶された知識の正確さと量を競うのは
放射する無意味性そのものだ。
無意味性という被爆は
未来に続く昨日の思考の沈黙の拡大である。
学習すればするほど
社会道徳とその諸価値を全的に否定することがより困難になれば
そのような依存の終わりに
死という最大の放射が訪れる。
自由について
間違いを認めない権力が含まれていないのであれば、
権力は持つに値しない。
これは外部の出来事であった。
自由への願望よりも
<自由からの逃走>によって
権力構造はより強化される。
自由を抑圧すればするほど他人への依存が高まる。
権力はいまや内部化している。
クレジット(credit)
小さなグループは
無数のより小さな政府をコントロールし、
小さな政府は国営事業の民営化・私企業化(privatization)や
規制の撤廃、国有資産の売却などを行ってきた。
原子力発電事業も完全に私企業化されている。
それらは
クレジットシステムをより一点に集中するためである。
クレジット(credit)は
かつては「真実性を信じる」言葉であった。
21世紀の生存に対する不安や恐怖、
そして
放射性物質は
このクレジットシステムから
つねに放射されている。
<絆>実験
かつては木が死にはじめたら
地球の変化の始まりであったが
子どもを疎開させないで
ストロンチウムとの<絆>実験は
環境ではなく
宇宙への適応性の退化の始まりだった。
国家と私企業による
もっとも残忍な観察行為となった。