ヒロシマノート」カテゴリーアーカイブ

場所

「春のキノコや山菜食べるな」といった単なる言葉の反応が
セシウムなどにはまったく作用していない間に
食べるモノよりも
住める場所のほうがより早く少なくなっている。
食べるモノは輸入できても
住める場所は輸入できない。

細胞被曝

雑草に対して
除草剤があるように
放射性物質に対して
除染剤が開発されてきた。
この1年間で
最も有効な除染剤は
生命細胞だった。
除染による都市の復興は
科学的に可能だが
太陽系では
生命細胞の復興は
すべて身勝手な作り話である。

短命化

より人生を短くするための技術に
より金銭が使われてきた。
その金が
真の科学者や哲学者を生みようもないが
ウラニウムに核分裂生成物を強制的に生ませてきた
(ヨウ素131、セシウム137、コバルト60、プルトニウム239など)。
しかし自然は
彼らすべてを短命にデザインしている。
α崩壊によるプルトニウム239の半減期は2万4000年だが
それも水素や酸素の元素に比べれば
かなりの短命だ。

続)賢者の寿命

この200年間の統計において、
「122年目」が人間の寿命の確実な生物学的終点である。
現代は医療テクノロジーが飛躍的に進歩し
長寿人口も増大した。
これにより、長生きしたい人は増えている。
人々はこのテクノロジーの延長によって
寿命の限界は更新できるものと思わされている。
しかし、極限を追い求めるための医療は幻想に満ちている。
実際、高度な医療テクノロジーをもってしても、
人間の生物学的終点自体は変わっていない。
人間の生物学的終点は
高齢化という平均寿命を拡張するテクノロジーとは無関係なのだ。