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被爆データの公開

核兵器の爆発によって引き起こされる
人間の想像力を超えた悲惨さとその増殖する時系列的複雑さより、
核を持つべきだと考えている権力構造の理由は直線的な単純さから構成される。

1.武器のもっとも効果的な殺戮力が求められた結果である。

2.共産主義か資本主義のどちらかが勝利するまでは
廃絶はないという単純さによって、核兵器は配備されてきた。

3. したがって.核の廃絶は、核を上回る武器がデザインされる時か
敵の完全な殲滅によってにしか現実的には起こりえない。

4.そしてわれわれは強制的にどちらかのイデオロギーを選ばされているという
単純さによって、核兵器の製造を政治家に、
政治家はテクノロジーに対する無知ゆえに
軍隊に委任してきたという事実である。

5.核兵器の有機体生命の破壊の度合いを示す広島と長崎の被爆データを収集することは
核実験の延長上にあったので、長期にわたる学研究助成金は医学研究者に使われてきた。

(小学校の時に、私は何度もドーム型のABCCの内部見学をして、
数多くの奇形児のホルマリン漬けを観察した。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/panel/A4/4103_2.htm)

そのころ調査診察ばかりで治療しない彼ら医療チームに対して、
子どもたちは、「 ABCCブタのケツ、丸めて固めてソーセージ・・・・」
などど歌って揶揄していた。

にもかかわらず、
原爆手帳の保持者数よりも原爆症の認定患者数が驚くほど少ない理由は、
原爆症の医学的な定義がこの半世紀に曖昧にされたまま
被爆データのみが収集されたからだ。

政治家は医学に対する無知ゆえに
認定の基準を医学専門家に委任してきたという事実である。
そして、医学研究者は助成金で研究を選ぶことで、
被爆のデータ公開のための裁判を起こさないだろう。

その結果、核兵器の製造技術と放射能対策のノウハウをすべてアメリカが管理しているのは、
核兵器はその製造技術は放射能対策の相補的なノウハウがあってはじめて
もっとも強力な武器になるからである。

それによって、効果的な大量殺戮後の占領地域の復興過程における自国の兵士の
被爆をもっとも少なくすることができる。     Y.K

原子核

資本主義も共産主義も核を持つことを前提としている。
これ以上単純な構造は他にはないだろう。
そしてこの構造をわれわれは異なったシステムと呼んでいる。

ただし、自然は原子核を構成するシステム以外のシステムを
核兵器には採用していない。     Y.K

クリアタイプ

私の父は被爆者であるが、 88歳でまだ健全だ。
彼はデジタルフォトに挑戦するフォトグラファーだ。
21世紀の写真は、デジカメからフィルムスキャナー、パソコンとプリンター
そしてフォト用紙のすべての操作を必要とするが、
彼は体力を理由に暗室での作業からの撤退を決意した。
デジタル作業工程では現像という化学反応と違っていつでも休める。

しかし、印画紙に変わる印刷用の光沢紙は染料を求めている。
デスクトップの画面のようにプリンターまでクリアタイプが主流となった。
バーチャルな現実を見るには光沢と色彩というメガネが強要される。そして、遂に3台目のマットブラック顔料を使用する大型プリンターを購入した。
彼はマットな白黒表現が好きで、色彩を重んじているからだ。
その願望を実現するにはデジタルのハイエンドユーザを意味している。

彼の視力はかなり低下したが
液晶画面ではなく、ファインダー付きのデジカメにこだわっている。
父の健全な記憶力と好奇心は、
このファインダーによる見る行為に基づいた記憶方式の習慣と考えられる。

ファインダーなきデジカメは
裸眼の視覚体験から遠ざかる傾向にある。

Photographとは
観察者がハロゲン化銀の不透明性を
非同時的に裸眼で確認する「光で描く装置」である。
これはプリミティブな写真の原点だ。
彼は11歳の時にカメラの原理を体験した。
彼はこの3年間不透明な顔料インクのプリンターを待っていたのは
この体験に見合う道具を求めていたからだ。

自然界にそもそもデスクトップや染料インクのような光沢は存在しない。
光沢は本来表現のための部分である。
主観的体験を光沢タイプに変換するためには
意識的なレンダリングが行われるが、
この規格化しすぎた翻訳調は、ユーザの暗黙の了解からではなく
表現者の選択肢の一つでなければ、
「光で描く装置」にはならないだろう。   Y.K

キノコ雲

台風やハリケーンは原理的にはダイソンの掃除機と同じである。
螺旋的な渦型の流体が回転し、
排気と吸気の連続的サイクルを自己組織したメカニズムを
維持するのは、太陽エネルギーか電気エネルギーかの違いがある。

この作業仮説から、原爆にも排気と吸気があることになる。
強大な爆発の後に、吸引された建物の破片や水や
車、そして無数の焼けこげた死体はハリケーンのように回転しながら上空に運ばれる。
台風の排気の高さは高度1万メートルに達している。
(同時に乾いた上空の空気は螺旋を描いて下降する。)

キノコ雲は、正確に螺旋の回転体である。
高濃度に吸引された放射性物質は
こうして新しいタイプの積乱雲として移動した後に黒い雨になった。
これまでの黒いキノコ雲は外観のみの形態しか表していない。

現在ヒロシマ原爆資料館で上映されている
ヒロシマの上空で核兵器が爆発するCGのアニメーションは
この原理をまったく無視している非科学的なアプローチである。

空中で爆発させた核兵器の使用は日本での僅か2例だけである。
透明なダイソンの掃除機を展示した方が
リアルに見せかけたCGよりも具体的で現実的である。      Y.K

自然のテクノロジー

もうじき8月6日がくる。
太陽系にエネルギー放射源は厳密に一つだ。
核兵器がなくとも人類を効果的に殺戮することは可能だ。
民主的に支持された持続的発展をこれまでのように続けるだけでよいのだ。    近視眼的遺伝子はインストール済みである。
自然のテクノロジーは核戦争を望まなかった。   Y.K

ナポリタン風

イタリアのスパゲッティに
ナポリタンがないように、
広島風お好み焼きは、ヒロシマにはない。
ナポリタン風やヒロシマ風で人々を欺くことができたのは、
人々が移動できなかった時代である。

ふるさと朝市、ふるさと村、ふるさと公園、ふるさと会議など
<ふるさと>と名の付くものすべては
都会人を相手にした田舎の詐欺師の企画と考えてよい。
たいてい、第2次世界大戦後生れの、
都会で定住できなかった詐欺師たちである。
ふるさと納税にいたっては、財務・総務の天下りが
「ふるさとを助けよう」という表看板で
飢えたハイエナが血税をむさぼり食うシステムである。

どこで生まれようがどこで働こうが
この惑星のメタボリックシステムへの間違った郷愁がある限り、
詐欺はますます横行する。        Y.K

知性

哲学者バックミンスター・フラーのような超モバイラーを考察すると、
知性は移動距離に比例すると思う。

私の父は、生まれた場所から半径500キロ以上移動したことがない。
しかし、私が生まれるまで、50回も引っ越しをしていたらしい。
知性は、引っ越しの回数にも比例する。
私は父から、科学的数学的工学的に共通するモデリングの基本を教わった。
インターネットがあれば、新聞もテレビもいらないが、
モデリングを知ることにはならない。       Y.K

「戸を出でずして天下を知り、窓をうかがわずして天道を見る。」老子
                  

核保有

十分な核保有がなされ
そればかりか、核融合が絶えず実験され
数億年のテスト期間を経て、宇宙は、
光合成を安全に作用させるシステムとデフォルトという生命を完成させた。
さらに、太陽系に唯一の安全な場所が確保された。
惑星地球が核を保有する必要はない。
北朝鮮を批判する前に、政治家の言説を信じてはならない。  Y.K

ヒロシマ型トルネード

ヒロシマの核爆発は、地下核実験とは異なる最初の空中爆発であった。

平和記念館に展示されている、キノコ雲の数枚の写真に見られる無数の黒い斑点をこれまで多くの人は、
保存の悪いネガフィルムのせいにしてきたが、
空から螺旋を描いて落下する無数の黒い物体として受け入れなければならない。
よく見れば、中には車ほどの大きな物体がある。

ヒロシマ原爆で吹き飛ばされた人以上に、
核爆発後の陰圧で生じる巨大トルネードで上空まで回転吸引されて死亡した人は無数に存在する。
この人工的に発生させた人類初のトルネードは、
大量の川の水を放射性物質と共に吸引しながら、
高度1万メートルで積乱雲となり、風で西に移動した後に、
雷雨と共に黒い雨を降らせた。
この水は ターゲットとなったT型の橋の架かる元安川から運ばれた。

この事実を科学者はまったく無視している。
今展示されている核爆発のCGを見る限り、
空気という粘性の高い物質の中での拡大と収縮の相互作用のメカニズムを物理学的に再現していない。
地上の建造物の固体的破壊過程だけを未熟なシナリオから構成しているにすぎない。
アメリカの軍事技術者は、これを見て極東支配に自信を感じるだろう。

拡大と収縮に関する動的な相互作用は、物理学よりもシナジェティクスから理解できる。  Y.K

8月6日

明日は友達が沖縄からやってくる。時間と距離を超えた絆(=トポロジー)を確かめよう。
そして母の地獄を共有する長い日がやってくる。
母はこの日は眠らない。

地球に太陽は一つで十分である。  Y.K