獲得した知識が正しいかどうかを
行動で確認することが学ぶことならば
他人の蓄積した知識に基づいた学習は
ほとんど模倣に陥ってしまうだろう。
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学ぶことについて
具体性を実際に学ぶことは
行動にもとづいた気づきによって
蓄積され先行した知識を破壊するための
しばしば孤立した峻烈な行為である。
学ぶ方法は模倣的学習からは学べない。
さもなくばどんな新しいものも除外されるに違いない。
安定について
政治家の保身行為が政治を破壊するように
社会のあらゆる静的で個人的な安定志向は
無秩序を拡大している。
われわれが自然の一部なら
やがて自然の秩序を形成するだろう。
テンセグリティのように
動的な均衡のみによって。
天気
天気をもっとも気にして生きている人は
漁師や農夫である。
メディアの天気予報を信じていないからだ。
天気は統計学的にしか正しくない以上
自分が住んでいる地域の
今日という未来にはほとんど有用ではない。
現実について
皮肉にも電子的なテクノロジーによって
同時的な「全世界」は
つねに致命的に遅延した現実を扱っている。
ほとんどのメディアは
現実に起こっていることを
時間の外に追放する放射エネルギーによって
その遅延を意図的に引き起している。
知ることは
あるがままの現実を
時間に包含させる重力エネルギーだ。
秩序について
考えるには
それほどたくさんの情報は必要でない。
むしろより考えるにしたがって
情報はより少なくなる。
秩序の発見には
無関係な情報を排除する過程を伴う。
————-The less I needed the better I thought. (yk)
簡単なことについて
人々の自由を奪うことで
富を得る方法よりも
自由を奪われた人々が
節約が好きになるほうが
より簡単な方法として広まったのは
無駄を省いて切り詰めて富を得ることが
すぐに挫折しても
その事実を互いに隠蔽してきたからに違いない。
どんな挫折も受容して生き延びることを
モラルにすり替えた人々による節約は
奪われた結果である。
非現実
苦痛のない状態を想像するあらゆる思考によって
非現実はより拡大している。
群れを率いるリーダー達に
イニシアティブを委託する瞬間から
非現実は人間の内部に生まれている。
すべての行為の源泉である現実は
人間にではなく人間の外側に存在する。
反復について
あらゆる種類の試験は
破壊的な思考エネルギーの反復である。
学校における教師のほとんどは
この反復の管理者である。
子供たちは
思考の廃墟に順応している。
群れについて
学校は人間の学習には
もっとも危険な場所になりつつある。
動機なき学習は
権力と暴力によって
より分断され
静かな群れを形成する。
暴動なき
静かな群れほど
抑圧された危険な内部はない。