以下の差は、だれにとっても興味深い事実である。
しかし、天才に関する、この著者の7と8および9の洞察には同意できない。
少なくともバックミンスター・フラーには不適応である。
つまりこの比較は、知的な凡人の思考に属する。
以下の差は、だれにとっても興味深い事実である。
しかし、天才に関する、この著者の7と8および9の洞察には同意できない。
少なくともバックミンスター・フラーには不適応である。
つまりこの比較は、知的な凡人の思考に属する。
夢には二つのタイプがある。
それを追いかけるタイプとそこから逃げるタイプと。
それを分かつのは
欲望(desire)ではなく、志(high aim)である。
志の高さを決めるのは
知性(intelligence)ではなく、動機(know why)である。
動機なき欲望をもとめる知性に具現化する夢、
つまり、独創性は宿らない。
アイデアを、そして計画を
毎日紙に書くことは
いつでもどこでもできる。
しかし、その簡単な方法は誰かに話すよりも
遙かに簡単で自在なことが分かるまで
依存型思考は止まらない。
もっとも簡単にできる方法と現実を怖れるのは
後天的な条件反射にちがいない。
中途半端な依存型思考のタイプは
大人になっても
白熱教室やTEDのプレゼン形式がたまらなく好きである。
自己イメージは、言語の習得と共に他者によって完成される。
他者とは、そのほとんどが家族や友人そして学校である。
シナジェティクスのモデル言語は
宇宙との相互作用によって
その自己イメージを砕くようにして成長していく。
宇宙の固有性や異質性は
外部性だけではなく
自己の内部をも形成する。
<宇宙とは自己を含むすべて>R.B.Fuller
生活費を稼ぐ仕事によって
愛することを忘れてしまうのである。
それは好都合な逃避なのである。
しかし、死は愛よりもすべての逃避を否定する。
アナログかデジタルかを比較する知性は
経験か知識かを比較するよりも
未熟な知性である。
しかし、包括的理解には
アナログかデジタルも
そして、経験も知識も局所的すぎる。
無数の選択肢とその組み合わせから
生活する方法は
混乱を回避できない。
選択に恣意性があるかぎり
最適解は存在しないか
最適解がつねに変動している場合
個々の特定の仮説を検証しているだけである。
人間の混乱を回避する知識は
ひたすら増えるばかりである。
生命に方向性を与えるのは
混乱からではなく
無目的に起きる変異を選別する能力だ。
自然選択(natural selection)以上に
より高い秩序は形成されない。
<山腹が崩壊して生じた土石等又は渓流の土石等が
水と一体となって流下する自然現象>と定義されている。
しかし、山腹が崩壊するのは
広大な人工的杉林によって保水性が欠乏したためだ。
したがって、ほとんどの土石流は自然現象ではない。
土石流の映像には
無数の無残な杉が土石と折り重なって流されている。
もはや<土石>流ではなく、<土石木>流である。
攻撃型か、守備型か
個人力主導型か、組織力主導型か
専門分化した戦略は時代遅れになっている。
攻撃は個人能力で守備構築がうまい監督さえも。
部分から推測不可能な全体は
部分的な破壊から崩壊しないシステムである。
戦略とは変化する相互関係の動的均衡にある。
真のシステムは
時間と空間に対して
すべての要素が互いに相補的に統合されている。
自分の思考を声にするよりも
自分の意見を文字で読むようになり
自分の声をほとんど聞かなくなった。
思考は
非旋律的な
無音(ミュート)になりつつある。