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学習の無秩序

こどもの学習を試験という競争に駆り立てるところには
苦痛と怖れから逃れるための無秩序がある。
強制のあるところには
自由を憎む心が芽生える。
あるがままを見るように
導くのは教師ではない。
生得的なデフォルトである。
生得的なデフォルトは
教師からもっとも憎まれている。
自然は彼らを必要としないから
学校は無秩序で溢れている。

安定学習

こどもの学習エネルギーの大半は比較に費やされ
教師も学生も学習に<安定>を求めている。
学習は淀んだ自己満足に使われている。
安定学習の最終形態は学級崩壊である。

言葉を書き換える

議論は生き方を変えなかった。
肯定も否定も環境を変えられなかった。
言葉は思考を規定し、思考は行動を規定し、
行動がはじめて生き方を規定する。
新たな生き方が現れるには、
古い言葉をすべて書き換えなければならない。

ありふれた信念

才能の8割が体力だと思い込まされている人に
才能は宿らない。
残りの2割がその体力と体力以外を作り出している生命の仕組み
ーーーーノウホワイトとノウハウとの相互作用に無関心だから。
原子核では、すべての核子(陽子や中性子)を相互に統合するための
結合エネルギー(質量欠損)は全質量のわずか0.05%にすぎない。

自己愛

自分を愛してばかりいると
人を愛することができなくなるのではなく
子供の時に人に愛されていないと
自分を愛することができない仕組みがある。
学校で学ぶことは
自己愛でさえほんの一瞬の<刷り込み=imprinting>によって
自己と他者との相互関係から生まれるという事実だけだ。

無次元(dimensionless)

何者にもならない努力をすれば
何もすることはない状態がやってくる。
生きることから遠ざける指導者たちが
もっとも怖れている無次元(dimensionless)だ。
無次元とは
微小で取るに足らない
それゆえに
あるがままの無限の領域なのだ。

反個性

電子が不足すると
見かけが正電荷を持つ反電子(=陽電子)として存在できるように
足りないモノが個性として振る舞うことができる。
欠点を覆い隠す個性など存在しない。
個性という概念は、実際には反個性である。

やりくり

自分でモノを考える習慣がない人は
他の誰かになる目的のためには
その人の言葉をけっして引用しない。
そのありふれた詐欺師たちは
自分の好きなように過ごせば
悔いがない人生のやりくりに忙しい。

外部について

互いにあるがままの現実を見ることができない時間が
人生よりも長い時
われわれの意識が外部をついに圧倒する。
それは不完全な経済的標準や政治的秩序が
物理的外部の意識や細胞を何度も破壊するよりも
速く、そして頻繁にやってくる。