裏庭から都市に移動して仕事をしていると
都会人が水と食料とエネルギーを買うことが奇異に見える。
湧水と焚火で調理できないことを不満に思ったからではなく、
私にとって外食とは、
家庭以外で食事をとることではなく、
天気のいい日に外で食事を作ることである。
太陽から遠ざかる閉じた空間の内部で
食事を作るかぎり内食である。
7月4日は、楕円軌道面に存在する人類の遠日点
裏庭から都市に移動して仕事をしていると
都会人が水と食料とエネルギーを買うことが奇異に見える。
湧水と焚火で調理できないことを不満に思ったからではなく、
私にとって外食とは、
家庭以外で食事をとることではなく、
天気のいい日に外で食事を作ることである。
太陽から遠ざかる閉じた空間の内部で
食事を作るかぎり内食である。
7月4日は、楕円軌道面に存在する人類の遠日点
重曹は洗剤と違って食用であるから、
調理後に器具に重曹をスプレーをするよりも
使用する前にスプレーすれば、
クリーニングは驚くほど短時間となる。
付着した重曹の表面に形成される新たな油汚れが
重曹と反応して石鹸を作り、
その石鹸が調理器具の表面の汚れを
次回の調理前までに自動的に落とすからだ。
私の子供時代は洗剤は不要だった。
重曹+みかんの皮で重曹スプレーを作る
嘘は事実を変えるが
嘘を言って生きると頭が悪くなる。
一方正直に生きると貧乏になる。
宇宙と自己の関係から共に考える時、
宇宙の会計学を言葉にできる代わりに
お金という富は蓄積できない。
真の富を奪う私企業と軍隊
および政府機関が形成する軍産複合体が
ますます優勢になる時、
嘘が大多数になる。
1961年、アイゼンハワー大統領が任期を終えテレビ会見した時、
アメリカ合衆国には軍産複合体という怪物組織があること告白して60年が経過する。
F-35戦闘機に見るその生存戦略
ロッキード・マーチンのフォートワース(テキサス)にあるF-35戦闘機組立工場
2011年10月13日(ロイター/連合ニュース)
モバイラーほど誰かと繋がっている。
真のモバイラーなら
全天候性の自律型テンセグリティシェルターで
太陽系の誰かの裏庭に静かに住むだろう。
無為自然に接近するために
水とエネルギーと食料を自律的に生産するシステムは
それ自体劣化し難い。
人間以上により無為自然と繋がるだろう。
無為自然とは、
Doing more with less から
Doing everything with nothingへのプロセス。
火星のモハベ・クレーター(NASA)
問題解決を自分以外の人間に頼むことができて、
しかも安く早くうまくやってくれるとしたら、
自分が失敗する経験がなくなる。
専門分化の主目的は、
知識の分割と独占にあるのではなく、
専門家にならなくとも
知的に強欲に暮らせる幻想を人々に選ばせることだった。
そのために専門家は
空域なき無人偵察宇宙機を開発した。
アメリカ空軍の無人宇宙機X-37Bが約2年に及ぶ国境なき宇宙空間でのスパイ活動を終えた。
機体回収には被曝から守るための防御服が必須だった。2017年5月
1975年米国で物理学博士号を取得した科学者は
9千人であったが仕事を得た人は僅か2千人であった。
教育投資をしても失業するから
先進工業国では定年制が廃止され、
人々は車や住宅それ以上に
自分の生命に保険をかける習慣が生まれた。
日本の定年制は奴隷制の変形である。
1887年日本海軍の火薬製造所が55歳の定年制度を設ける。
東京第一陸軍造兵廠大宮製造所集合写真 (1945年8月)
無知と暗黒(darkness)の製造方法は
高度な軍事機密である。
義務教育における宿題と試験、
そして、半ば強制的な部活は効果的なアプリである。
動機と興味を
合法的に奪う無知と暗黒システムに従事するための。
たとえ草原で暮らしたとしても。
ロシア映画『草原の実験』(ISPYTANIE)の最終シーン
監督:アレクサンドル・コット
すでに生得的な安全装置(Fail-Safe)を与えられている。
自然はこの安全装置を
より重要な部分をけっして所有しない標準システムとして
すべての有機体生命に
隈無くインストールしてきた。
この安全装置は
構造とパターンに関与する
見えないエコロジーとして無償化された。
月は引力の交流発生装置
大地震で都市が大規模に停電するのは、
電力会社がウランもプルトニウムも電子も発見しなかったからだ。
さらに発電機を発明したわけではないし、
銅線ネットワークと電気メーターを量産したにすぎないからだ。
彼らは大多数の生命に関わるテクノロジーに無関心だ。
有線は地震に対して時代遅れだ。
バイオスフィアに停電はない。
自然に停電はない。バイオスフィアには1秒間に無数の落雷がある。
政治的行動は
欠乏への不安と恐れから生まれる。
表現は
自己への欠乏、または過剰への怖れから生まれる。
宇宙は
存在への畏れなしには存在しない。
「ニーチェの馬 A torinói ló The Turin Horse」(2011年)
監督:タル・ベーラ&アニエス・フラニツキ