e・食・住(energy-food-shelter)」カテゴリーアーカイブ

主観的な現実

現実とは、目の前に存在しているものと
それらを送り出している仕組みからデザインされている。
未来を暗く描けば、現在も暗くできる。
何も変わらないと感じて生きているのは
その仕組みが変わらないのではなく
そのように感じるようにその仕組みが
正確に機能していると考えられる。
政治経済が主導する非人格的な仮想化マシーンが描いた
かつての未来を頼りに生きているかぎり
主観的な現実は人間を何も変えない。
人々の傍観に消費されるエネルギーで
その仮想化マシーンは動き続ける。

断糖

脳が消費するエネルギー量は全身の20%を占めていながら
脳はエネルギー源として主にブドウ糖を必要としている。
脳以外の臓器はタンパク質や脂肪もエネルギー源にすることができるが
通常の食生活からでは、脳のエネルギー源の99%がブドウ糖だと言われている。
しかし、ブドウ糖の摂取のための糖分の過剰摂取は
記憶の低下をもたらすだけではなく
ほぼ年齢を超えて痴呆症へと持続する。
ケーキとお餅とお酒で、しばらく日本中の記憶力が低下する季節になる。

優先順序

不幸は自分以外のすべてがきめる。
幸せは自分を含むすべてがきめる。
政治はどちらにも関わっているが
科学は産業を、産業は経済を、経済は政治を変えてきた。
しかし、人々は政治が経済を、産業、そして科学の順で
コントロールできると信じ込こまされために
いまもこの基本的な物事の優先順序は反転したままだ。
優先順序を反転させるためのエネルギー源は
つねにわれわれが支払う税金である。

全方向的

少数は政治観を信じ、多数は生活感を信じる。
弱者は運勢を信じ、強者は経済を信じる。
閉じた局所で
感傷的な人々は、自由に動いている。
しかし、けっして全方向的に移動しない。

自分以外

バイクや自動車の運転の方法に注意するより
走行する前にそれらを基本的に整備するほうが
結果的に安全に走行できるように、
学習の方法を変えるより
学習する環境を整備するほうがより効果的だ。
生活を改善するより
生活する環境を整備するほうが簡単で効果的だ。
そして、客観的である。
<環境とは自分以外のすべて>だから。

生き方、死に方

失敗をしないで
よい生き方を望む人々は
詐欺師になれる。
誰も失敗しないで学習できないのだから。
よい生き方をしないで
よい死に方を望む人々は
立派な詐欺師である。
誰も死を経験できないのだから。

消費の極限

金曜日の夕方の会社帰りに携帯から
いつものドラッグストアーでオムツの買い物を言いつけられた若い夫は
オムツの隣にビールが陳列されていると、
その両方を購入する傾向を生み出すシステムが、
必要だから買うのではなく、安いから買うつもりが
ポイントを貯めるために買う人々へと徐々に変貌させるシステムと統合される。
そういった消費の極限状態へ移行できるのは高度な資本主義なのであるが
広告による記号のテクノロジーによって
集団性の無意識の条件反射に依存しすぎて生存することになるのである。
消費の極限に向かう人々に対話と危機は存在しない。
それは、きわめて冷酷で短命なライフスタイルの消費なのである。

生活者

移動販売のラーメン屋よりも
移動販売車を販売する方がつねに利益がある。
ラーメン屋はそれに気づいていても選択肢がない。
たいていの人は、詐欺師のような仕事で稼いでいる。
そして、教師のための教師、保険屋のための保険、修理屋のための修理、
種屋のための種屋、ボイストレーナーのためのトレーナーなど
管理者の管理、指導者の指導は階層的に続く。
科学的研究と実践の乖離を口実に
生存に必要なテクノロジーがますます独占されていく時代に
価値を生みながら生活することは、もっとも困難なことだ。