e・食・住(energy-food-shelter)」カテゴリーアーカイブ

ふたたび反・地産地消

局所的に産まれて、局所的に消える
どんなエネルギーも物質も存在しない。
水や空気は、バイオスフィアを循環しているばかりか
そもそもエネルギーは増えも減りもしないから。
もし、農作物だけが例外的ならば、
われわれの体は、反宇宙的な存在である。

食糧自給率という暗黒時代の概念

食糧自給率が100%を越えるアメリカの農業は、
農業自体のエネルギー収支でみれば、
石油依存型で完全に破綻しているように、
補助金という農業支援だけで食糧自給率を
向上させることは、近視眼的である。
たとえば、補助金だらけの農業政策の結果、
アメリカの人口は日本の約2倍であるが、
年間の全食糧費5兆円の2割が廃棄されている。
日本では年間の全食糧費10兆円の2割は、廃棄されている。
エネルギー自給率が国内のエネルギー生産量の増加で解決できない場合、
エアコンや冷蔵庫、エコカーなどのエネルギー効率の改善によって
原油の輸入量を減少させたように、
食料自給率も、農業生産の過程および、生体内での
エネルギー変換率を改善して輸入量を減少させるべきである。
つまり、
食糧廃棄率を減少させれば、自給率は相対的に向上する。
そして、よく咀嚼すれば、栄養の吸収率ばかりか、
免疫力を高める健康な食生活法を向上させることができる。
より少ない、安全な食料で、より効果的に健康に生命を維持するための
テクノロジー(more with less)は存在する。
その一つに長寿食(マクロビオティック)がある。
そして、生命維持の生化学反応には、栄養学のカロリーベースで計量できない
種々の微量元素が含まれるが、
現在の食糧自給率の概念では、
栄養のない水や微量元素はまだ統合されていない。
食糧自給率は、国境毎の軍事的な兵站線の延長にすぎないからだ。

FRB(米連邦準備制度理事会)

必要なモノを売らないで、
欲しいモノを買わせたいなら、
必要でないモノこそ価値がある。
必要でないモノの最高傑作は、
いつでも幻想と交換できる
紙幣である。
水と食料は汚染され、
資源とエネルギーは独占され、
住居の半分は金利でパッケージされている。
人類に必要なモノは、21世紀でも売られていない。

3つの栽培法の区別

先日、野菜の栽培法の表示に関する、
冷蔵庫を利用した簡単な見分け方を教えてもらったので、
実験方法を公開する。
比較する野菜は以下の3種類である。
1. 農薬と化学肥料で栽培された野菜
2. 有機農法で栽培された野菜
3. 自然農で栽培した野菜
たとえばキュウリの場合、
一ヶ月間程度冷蔵庫のなかで保存させると、
3種のキュウリはそれぞれどう変化するのだろう。
その結果は、3つの段階に区別された。
1は、溶解して液体になる。
2は、形は保っているが腐敗する。
3は、野菜のミイラになる。
1と2はもちろん強力な悪臭がする。
3にはまだ野菜独自の香りが残っている。
農薬は腐敗菌の繁殖を増殖させる役目があるのである。
農民たちは農薬の使用目的を消毒というが、
農薬自体の毒性は消えないだけではなく、保存期間中に腐敗作用に変換されている。
生化学反応は、部分からはけっして推測できないので、
栽培には包括的な知識が必要だ。

地産地消から自己組織へ

もし、バイオスフィアが
地産地消していたら、
人間がいない場所での地球温暖化は起こらなかっただろう。
もし、PCや自動車が地産地消で生産されていたら、
誰も利用できなかっただろう。
地産地消は、
永久機関のような外部のない局所的なサイクルの概念を含んだ
幻想的な引きこもりである。
その結果、食料は廃棄することによって
価格を維持することに利用されている。
(毎年、日本では10兆円の食料費のなかで2兆円分が廃棄処分されている。
また、日本の産畜肉の生産用の輸入飼料こそ貿易収支のために利用された。)
<地産地消>も<遠産遠消>も国境線が造り出す
相対的で政治的・経済的な内部と外部である。
エコロジーは、つねに包括的で再生的である。
そして、
バイオスフィアは、唯一の外部と唯一の内部をもっている。
そして、
食料生産のための光合成は、
太陽系のエネルギー収支で運営されている。
最近の生物学や化学そして物理学では、
この運営方法を自己組織化と呼んでいる。

戦争機械

民主主義と科学、そして技術が複雑に組み合わさって
産業化を形成する。
この産業化の過程では、
科学が技術を、技術は産業を、産業は経済を、経済は政治を先導する。
政治がすべての出来事のしっぽであることは明らかである。
しかし、政治が経済を、経済が産業を、産業が技術を、技術が科学を
支配できるという幻想がこの産業化を分断してきた。
この幻想を利用した法律家資本主義は、
すべての発展を破壊する戦争機械である。

利子率

貨幣に対する利子率は、子牛が生まれて育つ生存率から生まれた。
牛を預かって育てる牛飼いは、報酬として乳を貰うことができる。
子牛という利子が牛の所有者に属する習慣から
金利は銀行が奪う歴史が始まった。
つまり、金利という概念が、
宇宙の物理的法則と相互作用しない金融の歴史である。
朝食に牛乳を飲む牛飼いの習慣を止めない限り、
家畜による温暖化ガスの増加とゼロ金利はつづくだろう。
われわれは学校の数学から家畜化しているのである。

一年生野菜

庭に野菜の種を蒔くと、だいたいすぐに実をつける。
収穫するまではとっても早い。
カボチャやトウモロコシ、トマトなど
ほとんどの野菜は1年生植物である。
彼らは、種子で休眠した状態で、
次のより良い機会を待つ方がはるかに有利になるようにデザインされている。
そのためには、良好な環境条件に出会うと短時間で成長し
繁殖するノウハウが必要になる。
良好な環境条件とは、
光と水と温度、
そして、土壌である。
繁殖ノウハウに関しては、種子で休眠できる以上、
人間よりも経済的で長寿である。
ところで、稲は野菜ではないが1年草である。
発掘された縄文土器から、運良く保存された古代米の種子が
見事に発芽できるように、
ごく一部の富裕層は、老衰するまえに、冷凍保存して休眠状態を選択できる。
この不老テクノロジーはまだ経済的な方法ではないが、
明らかに1年生植物への願望がある。
あの世よりも、
次のより良い機会を待つこの世の方が
はるかに有利だという前提がある。

植物言語

人類は有史以前から、
3000種以上の植物を食料として利用してきたが、
現代の消費者は、イネや麦などのわずか20種程度の植物に依存している。
限られた植物種の摂取から、嗜好だけではなく、思考も形成される。
例えば、先進工業国の消費者は、産業活動によって強くエコロジー的破壊を
受けた空間——陸と海底—-に生息する分類上は、
多種多様な植物からなる群を雑草、あるいは海草という
非生物的な概念に置き換えてきたのである。
人間に名前があるように、すべての雑草にも名前があった。
植物学が存在する以前から、集落の周辺でのみ生きている
愛する存在に名前を付ける習慣があった。
良い消費者をつくる手っ取り早い方法は、
自分だけの嗜好や習慣と結婚させることだ。
こうして、66億人の無数の嗜好や習慣は、
より限られた植物で間に合っている。
同時に、地球上の数千種の言語も激減させたのである。