e・食・住(energy-food-shelter)」カテゴリーアーカイブ

無料に関する情報リテラシー

ほとんどの田舎では高速インターネットが使えない。
情報リテラシーの問題があると言われている。
(都会人が田舎に住めない理由の一つになっている。)
大多数の若者も携帯インターネット以外は自宅ではPCは使わない。
それはコストの問題だと言われている。(多くの若者は本も読まないが、携帯インターネットで情報を検索しても読書に代わる知識が増大するとは限らない。)
日本中の町や村から公衆電話ボックスが消えたが、
設備投資の終わったアナログ電話回線(56K)を無料化しなかったからだ。
常に高い物を買わされるユーザは、
情報リテラシーもコスト計算能力もないことと同じである。

世界のインターネット普及率を見れば、現在でもアナログ電話回線(56K)での普及率が高いところが上位に並んでいることがわかる。
インターネットシステムは本質的に無料であるが、回線使用料は常に有料であると信じ込まされているだけである。無料に関する情報リテラシーはほとんど根絶やしになっている。  Y.K

短命な楽園

田舎のことを、住みよい気楽な場所だとか、住みづらい場所などと比較するなんてばかげた話だ。魅力ある人間が住んでいるか、退屈な人間が住む退屈な場所なのか、田舎も都会もそのどちらかだ。会社のように。
田舎でログハウスに住んでログを売っているか、喫茶店を経営する類の都会人は、もちろん退屈な人間たちの頂点だ。都会人が軽井沢型リゾート指向であるかぎり、田舎暮らしのマガジンが出版され、相も変わらぬミニチュアの田園が再生産される。樹木はもっとも加工しやすい天然素材であることで、残りの自分の人生を選択できる木の温もり派が、地球に降り注ぐ膨大なエネルギーと地球のメタボリックシステムに無関心である限り、彼らのログが100年の耐久性を証明する未来は滑稽で短命な楽園にちがいない。マンションとログハウスの所有、これは平均的都会人の欲望の結晶であるが、実現できたとしてもコミュニティのない場所を交換するだけなのだ。(田舎が退屈でないならば過疎は起こりえないが、都市の人口過剰が豊かな充実度を表すわけではない。)  Y.K

林檎

天然ワックスで保護された本来の林檎の芳香は、
雑草に群がる昆虫と光のない大地の中で成長する根毛と
微生物で決められている。

売ったり買ったりばかりする間、林檎の本当の芳香さえ
忘れてしまったばかりか、林檎は置いておくと腐ると思わされている。

しかし、自然の林檎はけっして腐敗しない。
(同じ理由で柿も腐敗しない。)
もし腐敗していたら、果実のなかの種子は発芽しなかっただろう。  Y.K

近親憎悪

都市には、エネルギーも食料も、シェルターもない。
ただ売っているだけだ。

農村には、種も肥料も栽培法もない。
ただ、買っているだけだ。
だから、都市と農村は交流する前から
ゾッとするほど互いに似ているのだ。
(反対称的に相似である)

バイオスフィアを搾取するかぎり、
この近親憎悪的経済学はつづくだろう。  Y.K

step out

私は時計を見ない生活をしている。
太陽を見れば時間は分かる。

私は天気予報を見ない生活をしている。
山の頂を見れば正確な予報は分かる。

私は本を読まない生活をしている。
読書で考える時間が失われる。

これはstep outの基本である。
隣の井戸には無数の情報と資源があるので、
離れた場所でも新しい井戸を掘ることに専念できるのだ。  Y.K

聞く人

ところが、聞く人は、学校にはいない。
その人も学校は、大気圏外よりも危険だと感じている。
こうして、危険だといえる大人が学校からいなくなった。
教えるばかりのつまらない人が教師になったのは
両親がこどものために聞く人を探さないからだ。  Y.K

学校

学校へ行かないことは、死ぬよりもつらいのである。
だから、毎日学校で子供が死んでいる。

学校は、大気圏外よりも危険な場所に違いない。

そろそろ家に帰って、家族と一緒に暮らそうではないか。
みんな大きな家がある。
勉強は、コタツでみかんを食べながら母さんと一緒にするもんだ。
そして母さんも分からないときには、母さんと一緒に聞きに行くんだ。
聞く人は、母さんが心から尊敬できる人に決まっている。  Y.K

流体地理学

大気圏で二酸化炭素が増加しても、酸素の含有率が一定なのは
生命にとっての大気圏のシンメトリーが存在するからである。
厚い地層が強く褶曲して変形し、マグマの活動や変成作用が起こり、
やがて一大山脈となり大陸地殻に転化してゆく過程の
地殻の動的で可視的な均衡(プレートテクトニクス)以外に、
大気圏の不可視なシンメトリーが、生物の生きる場所を決定している。

バイオスフィアに[固体は存在しない]という流体地理学から
21世紀のデザインサイエンスは始まる。  Y.K

短命なロハス的思考

ロハスはヒト・モノ・カネから、ヒト・モノ・コトを対象とした。

しかし、エコロジーは、本質的に重さのない相互関係から成り立つ、
予測不可能な総体(コト)である。
(カネをコトに替えただけは、シナジーに到達できない。)

ロハスは都市型スローライフの賢い消費者になるための啓蒙である。
スローに同調するライフスタイルの問題だ。

エコロジーはスローでもファーストでもない。
自然は、超低周波から高低周波までの現実とつねに同調している。
ヒト・モノ・コトという主に可視化を対象とするロハスは、
バイオスフィアには決して同調できないだろう。
これはライフスタイルの問題ではなく直観の問題である。  Y.K