e・食・住(energy-food-shelter)」カテゴリーアーカイブ

近道

人間の視覚と聴覚の不完全さを唯一補うのは想像力である。

テレビは映像と音声からできている。
視覚と聴覚に依存する生活は基本的にバーチャルである。
何かを所有するために、コマーシャルを見るという現実が生まれる。

こうして、人間が編集する映像と音声によるコミュニケーションは、
メタフィジクスに接近するよりも
フィジクスに接近する近道を提供できる。

子供にとって、映像と音声は、もっとも奪われやすい領域である。
本を読むのは、生まれてからずっと後である。  Y.K

焚き火

私は秋には外出しない。

裏庭の小枝を集めて焚き火をたいて、三度の食事を作る。
そして、満月の夜は、椎の木の葉の茂みで、明かりを消して酒を酌む。
私の小さな裏庭の紅葉は、境界もなく中国山脈の森に繋がっている。
そろそろ、獣たちもわたしの茶室に近づいてくる。

これ以上のエコロジーを望んではいけない。
何もしないエコロジーを誰もデザインできないのだから。  Y.K

水稲とメタン

水田土壌中で生成されたメタンは、一部は大気中に放出され、
その他は、土壌中に一時滞留し、一部は土壌中で分解する。
水田において土壌有機物から生成されるメタンの総量は
年間約9.6万トン見積られている。(化学肥料を使用すると
大気中に放出される割合は10%以上増加する。)
光合成により有機物へと同化された二酸化炭素が再びメタンとなって、
大気に放出されるまでにわずか1.5時間しか要しない。
一方、浸透水中のメタンは心土を通過中に分解する。
水稲自体がメタンの起源として重要なシナジーに関与している。  Y.K

(栽培操作の対象となる上層の根張りの大部分を耕土といい、つづく下層を心土(しんど)という。) 

私事と仕事

日記を覗いている気持ちにさせるのがブログのデフォルトになっている。
私語を私事にしているブログは多いのはなぜだろうか。

主観性と私語との違いは仕事と職業との違いに似ている。

人間の仕事は無数にある。

仕事が職業で実現できないように、主観性は私語には宿らない。

しかし、私語にはピジンとして生きるうえの、新しい有用な言語となる唯一の可能性がある。
可能性ゆえに、ほとんどの私語は死語であり、死後の恐れに満ちている。  Y.K

除湿と加湿

山頂付近の生活には、除湿しなければならないほど過剰な水分が建物を覆う。
局所的な除湿は太陽エネルギーを電気に変換すればできるが乾燥しすぎた砂漠では、過剰な太陽エネルギーを電気エネルギーに変換しても加湿には水が必要である。
太陽光パネルに対して、これは対称的ではない。  Y.K

失われた香り

稲も小麦もトウモロコシも雑草から選別された栽培の歴史をもっている。
それ故に、雑草と共に成長した植物は独特の香りを1世代で取り戻す。
この香りは、バイオスフィアの大気圏ではありふれた風として循環していたに違いない。

風の記憶が季節を呼び戻し、収穫をもたらす時代を生きた人たちは香りで目覚め、そして眠ることができた。

風のない場所ではいま、眠る前にインターネットと安定剤が常用されている。  Y.K

雑用

誰でも、雑用は嫌いである。
しかし、雑用のない仕事は存在しない。
すばらしいと感じる仕事の90%は雑用から成り立っている。

水素の核融合反応によって、2つの水素原子からヘリウムが生成され、そのヘリウムから炭素、窒素、酸素が生成される。水素原子はこの二つの核融合反応を起こす担い手であり、宇宙全体の活動に深く関わりがあるのは、質量では宇宙全体の55%を占め、宇宙で有限な原子数の90%以上を占めているからである。
水素は、宇宙で最も豊富な元素ゆえに、宇宙の雑用をこなしている。

ありふれた雑用は、個人の統合的な仕事に深く関与している。
個人が宇宙全体の活動に深く関わろうとする場合、分類不可能な「環境の準備」として加速度的な雑用の増加が現れる。  Y.K

雑草

自然農に、雑草という概念は存在しない。
雑草は、農薬会社が捏造した疑似生物学的カテゴリーである。

その概念を日々利用している堕落したユーザが、
食べ物に少量の毒を入れる習慣から、
農薬効果を消毒作用と見立てているのは当然かもしれない。  Y.K

古代米

第4次世界大戦はどこで勃発するかわからない。
しかし、第1次宇宙戦争なら始まっている。
衛星インターネットで無農薬の古代米を世界中に販売している若き自然農民が仕掛ける、雑草と共に発芽させるだけのシントロピー戦争しか残されていないのだ。

彼らは遊牧性を理解しない不耕作農民ではない。
モバイル・テンセグリティドームを携え、球面幾何学の閉じた有限な空間をナビゲートできる海の民だ。  Y.K